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思考過程をそのまま論述することの大切さ

懇親会があったので参加してきました。

1次会で抜けて、その後は、①以前「友人のスケジュール」の記事で書いた勉強仲間の友人(C)と②「あらためて」の記事記載のメッセージを送った再チャレンジ組の友人(Y)と歓談。

掃除した時に撮ったというCの勉強部屋の写メを見せてもらったのですが、まるで法律学者の晩年の書斎のように本棚に本がぎっしり・・・すごすぎてちょっとヒいたガーン。そんなCが論文で気をつけていたというポイントについて、非常に共感を覚えるとともに、自分も意識していたし、とても大切だと思うことがあったので書きたいと思います。

これは、ローでできるといわれている人(上位10人とかそのレベルの人)でも落ちてしまう人がいるのはなぜなんだろうという話の中で出てきたことです。①対試験という意味での問題演習量が足りなかった、②ナンバリング等、答案の形式面の追求が足りなかった、③本番のプレッシャーに弱かった、などが挙げられたものの、それよりも、④「できるだけ自分の思考過程をそのまま答案に表すようにすること」ができていなかったことが一番の原因ではないかという話になりました。私の「論文式試験」という記事でいう「愚直に基本からの積み上げを示せ。」というのは、まさにこのことを言っています。

ABCDを用いた具体例で説明します。

たとえば、その問題の論点又は隠れた問題意識(ほとんどの受験生が知らない論点)が「D」であるとして、ABCは極めて基本的な、「前提事実の整理」、「条文の単純適用による法律関係の整理」だと考えてください。このABCの部分をみなさんはどのように処理しているでしょうか。

できる人の中にはいきなりDについての論述を始める方がいます。この方をXさんとします。Xさんの思考はこうです。

『ああ、これは論点Dだな。楽勝楽勝。「1.Dが問題となる。●●と解する。本件では...」』

次のようなXさんもいます。

『前に似たような事実関係で論点Dが問題となった事案を検討したことがある気がするな。この問題ではAで、Bで、Cだから、やっぱりDが論点っぽいな。Dをどう処理するかよく覚えてないけど、何となくは覚えてる。えーとなんだっけ。確かこんな感じだったかなあ...?うろ覚えだけど、たくさん書いておこう「1.Dが問題となる。(あやふやな規範)と解する。本件では...」』

このような思考は、ABCを実際に記載しようという発想に至っていない点に重大な問題があります。できる人(ABCは無意識的に処理できる人)だからこそ、このような思考に陥るのです。

これに対して正しい思考をする、できるYさんは次のように考えます。

『ああ、これは論点Dだな。Aで、Bで、CだからDが問題となるんだった。「1.Aで、Bで、Cである。そうすると●●であるため、Dが問題となる。●●と解する。本件では...』

次のようなYさんもいるかも知れません。

『前に似たような事実関係で論点Dが問題となった事案を検討したことがある気がするな。この問題ではABCだから、やっぱりDが論点っぽいな。Dをどう処理するかよく覚えていないから、一つ一つ丁寧に書かなくちゃ。「1.Aで、Bで、Cである。そうすると●●であるため、Dが問題となる。(基本から導いた規範)と解する。本件では...」』

あるいは次のようなYさんもいるでしょう。

『パッと典型論点が問題となる事実関係ではないな...困ったな。ひとまず前提を丁寧に整理してみよう。Aで、Bで、Cと。そうすると、●●するためには、●●が必要になるな。そうであれば●●に該当するか否かが問題になるな。論点としては検討したことはないけど、書くしかない。原理・原則から導ける範囲で簡単に記載しよう。「1.Aで、Bで、Cである。そうすると●●であるため、Dが問題となる。(基本から導いた規範)と解する。本件では...」』

XさんとYさんの思考過程の違いは、実際の点数にどのように反映されるでしょうか。論文問題では、ABCに配点の70%~80%、Dに30%~20%がふられているというような場合がほとんどです。その結果、ABCはサラッと流してDをたくさん書いた人は35%の得点率であるのに対して、ABCはしっかり書いていてDをサラッと流した人が55%の得点率という現象が起こります。

このとき、Xさんはどう考えるでしょうか?ABCを書かなかったから点数が悪いと思うでしょうか?違います。Xさんは次のように考えます。

「ABCは誰でも書けるだろうから、あるいは前提にすぎないからほとんど書く意味のない問題だった。なによりDをしっかり書いたつもりだった。それなのに自分の点数が伸びなかったのはDの論述が薄かったのだ。」

このような思考に陥ると、日々の学習でも、例でいうDにあたるレベルの論点知識を追い求めるようになります。しかし、Dレベルの知識はそもそも難しく、正確に理解し記述することが非常に困難です。また、当該問題点についてのピンポイントの知識であって汎用性がないため、あらゆる問題に対応しようとすればするほど学習の対象は際限なく広がっていきます。

自分はそうではない、と思われる方も念のためにもう一度自分の答案を想起してみてください。勉強が進んでくると、問題文を読みながら論点が脳裏をよぎるので、知らず知らずのうちにXさんの思考になってしまいがちです。

「Aだから、Bとなる。BだからCとなる。でもそうすると●と●のどちらを優先してよいかわからない。そこが問題(の所在)だ。その問題の結論は条文の○○という文言の解釈によって変わってくる。だから●条の解釈が問題となる。●条は●のための制度だから、○○という文言は××と解釈するべきだ。本件では...で、...だから××であり、○○に該当する。」

というような自分が頭で考えた過程が答案を読む人に分かるように書いてありますか?※このように書けという趣旨ではありません。考えた過程が読んでわかるかどうかということです。Xさんのように「本件において、~が認められるか、「〇〇」(条文指摘)の意義と関連して問題となる。」というような、いきなり型の答案になっていませんか?

「ABCは誰でも書けるだろうから」こそ丁寧に書くんです

たとえDの論点を知らなくても、Yさんのように思考して問題の所在さえ示せば点がきます。あとは、関連する条文の趣旨等からなんとかして結論を出せばよいのです。ありえないような論理の飛躍がない限り全く問題ありません。なんでもかんでもABCにあたる部分をたくさん書かなきゃだめだと固く考える必要はなく、上に挙げた例も抽象的な例であってイメージを持っていただきたいと思って書いたにすぎません。しかし、「考えたことをできるだけ丁寧に書こう」という意識を持つだけでも答案が変わって来ると思います。

今後、来年受験をする方の答案を見る機会がいくつかあると思うので、その中で気がついたことも適宜書いていきたいと思います。


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